鶏口となるも牛後となるなかれ
鶏口(けいこう)とは、小さな組織のトップ、リーダーのたとえ。(らしい)
牛後(ぎゅうご)とは、大きな組織に従って使われる者のたとえ。(らしい)
したがって「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは、大きな集団の中で尻にいて使われるより、小さな集団であってもリーダーになる方が良いという意味になる。(らしい)
「寄らば大樹の陰」とは反対の意味になるようだね。
ふむ。
組織が大きかろうが小さかろうが、集団の長になるのは(そして、長であり続けるためには)それなりの覚悟がいる。(たぶんね)
それだけに、やり甲斐ってやつも自然とデカくなるんだろう。(きっと)
昨日のブログにも通じるが、どっちが良い悪いではないと思うよー。
牛後には牛後の覚悟が必要になるはずだ。(デカいとこ程色々あるじゃん)
そこには当然責任ってもんがくっついてくるよ。(責任もデカかろう)
だからきっと、そこにはやり甲斐も生まれるさ。(言い切る)
どんな集団に身を置こうとも、それが1人の組織であっても1万人の組織であっても、そしてその中でどんな立場にいたとしても、自分の意志を仕事に反映させたいじゃないか。
そのためにも、自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分で動く。
そういうトレーニングしていかないとね。
うーん、受験勉強にも通じるぞー。
がんばろ。