みんなが正しいと思いそうな事にこそ疑いを持ってみる
ある日のアイス屋さんにて
店員さん「いらっしゃいませー。」
自分「カップのレギュラーサイズください。」
店員さん「ただいまキャンペーンで、レギュラーサイズのお値段でラージサイズをお求めになれますが、いかがですか?」
自分「ラージサイズってどのくらいの大きさですか?」
店員さん「こちらになります。」
自分「あー、それじゃあ、レギュラーサイズで。」
店員さん「はい、少々お待ちください。」
・・・。
店員さん「お待たせいたしましたー。」
・・・それは、ラージサイズじゃん。
別のある日のファーストフード店にて
店員さん「ご注文お願いします。」
自分「コ―ラのMとポテトのSサイズ。」
店員さん「ポテトはMサイズのセットにされた方がお安くなります。」
自分「いや、Sサイズでいいよ。」
店員さん「え、よろしいんですか?」
・・・えーっとね、Sでいいんだよ、Sで。
不思議そうな顔しなくていいよ。
この2件の事例、どちらの店員さんも「大きいサイズで同じ値段、もしくは安くなるなら当然お客様にとってそっちの方が得でしょ」って思い込みがあるんだろうね。
いや、そりゃそうよ。
多くの人はそうかもしれない。
でも、「同じ値段でも、もしくは少々割高になっても今食べたい量はこのくらいなんだって人もいるだろう」という想定が頭の中の隅っこにでもあっていいんじゃないかい?
こっちの方が得なのに何でそうしないの?
こうした方が絶対良くなるのに何でそうしないの?
全ての人がそう思うなんてことは絶対にないよね?、といつも疑う想像力を持ちたい。
読書は絶対しないといけないよ。
勉強は本当に楽しいものなんだ。
こういうことさえも、一歩引いてよく考えていきたい。
あたかも絶対正義のように振りかざしてないか。
人は色んな感じ方をするもんだ。
人は色んな好き嫌いがあるもんだ。
そして、その感じ方も好き嫌いも、それらが表に出るまでに色んな心の葛藤があるのかもしれない。
その人なりに。
そのへんを、よく観察して、想像して、少しでも共感して。
表面に見える部分だけを捉えて反応するんじゃなくてね。
そのために、既成の価値観、損得、勝手な思い込み、そういうのに囚われないで物事を見つめていきたい。
自分への戒め。