同学年意識の呪縛
突然ですが、昭和45年2月生まれのワタクシ。
プロ野球選手ではね、PL学園出身の立浪、片岡、野村、橋本と同学年なんだよー。
あと、メジャーリーガーだった伊良部も同学年。
アイドルではねー、なんつっても中山ミポリンが同学年。
おニャン子では、白石麻子と渡辺美奈代が同学年なのさ。
ちなみに、渡辺満里奈と工藤静香は同じ昭和45年生まれだけど同学年ではない。
いきなり、何どうでもいいようなことをダラダラ書いてるんだって思うでしょ。
そう、ホントどうでもいいことなんだよ。
学年が同じだとか1コ下だとか1コ上だとか、そんなこと。
でもね、意外と意識してしまうもんじゃない?
それはやっぱり小学校から中学校の義務教育期間にすり込まれる意識が大きいんだ。
小学校、中学校の9年間というのは、学年のくくりっていうのが人生で最も強く意識される期間だよね。
「呪縛」という言葉をつかってしまう程に。
同学年っていうのが世界の全てであるような感じさえない?(そこまでない?)
学年が1コ違えば、もう先輩後輩。
中学校で体育会系の厳しい部活動なんかに所属してれば、完全な上下関係が発生する。
だから、違う学年のクラスの授業を受けるなんて想像出来ない話だと思うのだ。(運動会や遠足、全校集会は別にして)
でもそういうの、小学校、中学校の間だけでしょ。
高校、大学になれば浪人して入学するケースがあるから年上の同級生が存在する。
留学して帰ってくれば学年は1つ下と同じになる。
大学で落とした単位を再履修する時は4年生でも1年、2年の中に入って講義受けることになるしね。
同学年のくくりなんて、社会に出て働き出したらもっと関係無くなる。
同期入社のメンバーの年齢なんて結構バラバラじゃん。
そして入社後は、能力や実績によってポジションが決まってくるのだから。
そう考えると、同学年っていうくくりでしか世界を考えられないという中学までの状況の方が、異常な感じがするね。
何を言いたいかというと、教科学習の授業は習熟度に応じて学年を飛び越えたり戻ったり出来ないのかなーということ。(うーん、長い前振りだったわね)
5年生が3年生の中に入って授業受けるとか。
もちろん、その反対の飛び級もあり。
クラスの人数の問題とか、どこで線引きするのかとか、運営の仕方とか、9年間で指導要領分を履修出来ないのではとか、最終的に高校入試がどうなるのか、などなどハードルは山のようにあるんだろうけど。
でも、最も邪魔するものって「下の学年に入るのは恥ずかしい」という同学年意識じゃなかろうか。
そういう意識を取っ払えないんだろうか、と思ったりする。
色んなことが変わってくるんじゃなかろうか、と思ったりするんだけど。
いい意味で。
大人になってからもねー、案外あるよねー。
「へー、EXILEのリーダー HIROも同学年なんだー。」
とか。
まずは大人の意識から変えないと、とか思っちゃうね。