一子じいちゃん
今日は敬老の日だね。
父方母方計4人の祖父母はもう全員この世にはいない。
この中で一番早く亡くなった父方の祖父だけがほとんど記憶に残っていない。
数年は一緒に暮らしてたんだよね。
でも、声とか顔の記憶ないなー。
小学校に上がる前に亡くなった。
亡くなる直前、病院に入るまでの数年間は神埼町の県営住宅に親子3代計6人で暮らしてたんだ。
今思えば、よくまあ、あんな狭いところに。
こんな間取りよ。
で、父方の祖父。
名前は、「一子」。
「かずし」と読む。
佐賀県杵島郡福富町に生まれる。
一の子と書くので最初の子どもかと思いきや、8人兄弟の8番目らしい。
子どものころに近所の子どもがいなかった夫婦の家に養子に入ったそうな。
それで今の苗字になったわけだ。
ちなみに元々の苗字は山口さん。
養子に出たとはいえ、この実家とはその後もずっと付き合いが続いていたらしい。
そして、ここの親戚にあたり、現在イラストレーターとして活躍されている方とFacebookで連絡を取り合えた。
これ、近年でとっても感動した出来ごとのひとつ。
で、一子じいちゃん。
最初、床屋さんになったらしい。
武雄か伊万里か、どこか忘れたけど佐賀県西部あたりで。
その後なぜか警察官になって福岡県に勤務。
数年後に佐賀県採用になり神埼郡へ引っ越してくる。
恩給が貰える年数勤めた後、警察を退職して商売を始めたらしい。
羽振りがイイ時期もあったらしいが、最終的にうまくいかずに借金を抱えることに。
それで親父は大学を中退することになったとか。
借金を残したまま亡くなったので長男の伯父貴などはちょっと苦労したらしいが、まあ許せる範囲だったのではなかろうか。
本当にじいちゃんの記憶って無いけど、ひとつだけ保育園の頃のじいちゃんとのエピソードを聞いている。
自転車でじいちゃんが保育園まで迎えにきてた時期があったらしい。
ある日、いつものように後ろの荷台に私を乗せて帰ろうとした瞬間、下に落っこちてしまったらしい。
大したケガは無かったが、じいちゃんがオロオロしてウチのオフクロにずーっと謝っていたらしい。
しゃべった記憶も何にも無いけれど、この話ひとつでじいちゃんとは繋がっているような気がしてる。
そんなことを思い出していた。
今日は敬老の日。