授業は両者の意思で成り立つもの
何年も前だと思うが、こんな企画をやってる番組があった。
今やテレビで大人気の有名予備校講師が、今まで勉強などやったことないようなヤンキーの皆さまを相手に大学入試問題の解説授業をするというもの。
果たしてこの有名講師はこの若者たちにも理解させることができるのか????・・・って、出来るわけないだろ。
なんてつまんないことやってんだと思いながら最後まで見ちゃったが、聞く気の無い人に授業できるわけないし、また聞く必要も無いじゃないか。
授業は、そこで学びたい生徒とそれをサポートしたい講師両者の強い意思があって初めて成り立つものだ。
講師がやいのやいの喚こうとも、聞く側が必死で学び取ろう(「盗んでやろう」でもいいよ)という気で聴いてないなら大した授業にはならない。
だからイイ授業を受けたいなら、受ける側もそれなりの覚悟を持って臨むべきじゃん?
ホクトの授業だってそうよ。
決してうちが他に比べて何かが特別勝ってるとか、そういうのはよく知らない。
うちの授業、そしてそれを作る教室の空気ってのは、オレたちと塾生両者の関係性で成り立ってるものでしかないんだ。
それらは一朝一夕で出来るものでもないと思ってる。
引き続き努力が必要だね。
そうね。
鐘は強く叩けばより響く。
オレはでっかく響ける鐘になるために自分を鍛える。
そして塾生であるあなたはその鐘を強く叩く意思と腕っぷしを磨く、ってのはどうだ。
その逆でもいいや。
オレが叩く、そしてあなたが大きく響く。
交互にでもいいぞ。
よく分からない例えか?
何となく雰囲気でも伝わればいいや。
それも伝わらないならまた書き続けるまでさ。
今そんなことを考えてる。
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