やらされる勉強からの脱却
ただ「やれ」と言われたからやってる。
そこから意識が進歩しなかったら最終的に行き詰まる。
嫌々やってる、とまではいかなくても「ただの役目済まし」程度の学習。
積極的、能動的な学習というのは人に言われたことではなく、自分で何をするか考えて全て自分のやりたいことをやりたいようにやるのだ、とは思わない。
やれと言われたことをするのもいいんだよ。
与えられた課題をこなしていく学習でいいのだよ。
ただし、それをやる時の自分の意識が積極的かどうかの問題なのだ。
積極的に課題をこなす中で自分の伸びを実感し始めた人は、次々に新しい課題を与えると喜ぶ。
もっとくれもっとくれ、みたいな。
反対に、ただやってるだけの人は課題を追加されると嫌な顔をする。
あー、まだやるの?もっとやらされるの?
自分を伸ばすための課題だって捉えることが出来ない人は、自分が伸びることを自分で妨げていく。
やらされる勉強という意識から脱却出来なければ、これは将来に大きな問題を残す。
仕事を始めた自分を想像してごらん。
どこかの組織で従業員として働くにしても、独立開業して自分だけで仕事するにしても、他から与えられる仕事は必ずある。
というか、仕事のほとんどは他者との関わりの中で与えられるもんだ。
決まったことをやる、やらねばならぬことをやる。
それが仕事の大半なのだ。
その時の自分の意識が「ただやる」のままだったらどうか。
またやらされる、まだやらされる、から抜け出せなかったらどうなるか。
どんな職場にいてもどんな仕事をしてても現状に不平不満しか言わぬ大人になるのは不幸じゃないか。
最後に。
本題とは何の関係もないが、今日は親しい知人の結婚記念日。
「ポッキーの日だから覚えやすいでしょ」と言われたんだが、確かに忘れないね。
これからもお幸せに。
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