漢字vsひらがな(菅原道真&藤原時平の物語)

 

「きょうはすがわらみちざねとふじわらときひらのものがたりをかいてみよう」

 

・・・???

 

このように平仮名だけの文章だと、ひとつひとつの音は読めるがパッと見て意味が捉えづらいよね。

 

これを漢字を混ぜて書くとこうだ。

 

 

「今日は菅原道真と藤原時平の物語を書いてみよう」

 

 

やっぱりこっちが読みやすい。

 

 

学問の神様の太宰府天満宮で有名な菅原道真。

 

彼がまだ朝廷内で政治の実権を握っていた頃のこと。

 

正反対のタイプのライバルがいた。

 

その名を藤原時平と言う。

 

 

菅原道真はそんなに高貴な家の出身ではなく、自分の努力でコツコツ出世してきた貴族。

 

藤原時平は名門藤原家の出身で、家柄の良い御曹司として当然のように政治の中枢にいた。

 

 

藤原道真は当時の政治に関する公文書である漢文や漢詩に精通している学者でもあった。

 

藤原時平は当時まだ女性の教養のひとつに過ぎなかったひらがなを好み、和歌もたしなむ色男であった。

 

 

徹底的にタイプの異なる二人。

 

しかし、その当時の律令政治が行き詰まっていると感じて改革をせねばと思う気持ちは同じだったようだ。

 

 

中国の漢文に精通する菅原道真であるが、これからは日本独自の文化を創っていくべきだとの思いから遣唐使制度廃止などの改革を進めていく。

 

「白紙に戻そう遣唐使894年」なんつって年号覚えたよね。

 

彼の改革に不満を持つ他の貴族たちはいわゆるストライキ騒動を起こす。

 

そんな状態が続いて朝廷政治が崩壊することを恐れた藤原時平は、菅原道真を大宰府に追放してしまう。

 

 

菅原道真を追放した藤原時平ではあるが、道真の改革の意志は引き継いでいく。

 

道真も考えた日本独自の文化の創造。

 

そのための第一歩として時平は、ひらがなによる和歌集を編纂することを実行に移す。

 

こうやって、中国に負けない日本独自の文化の象徴として編纂されたのが「古今和歌集」だ。

 

 

その後、ひらがなは国風文化の土台となり、「源氏物語」や「枕草子」などの文学として花開く。

 

菅原道真と藤原時平の時代から数百年の後、鎌倉時代には漢字とひらがなを同時に使う「和漢混淆文」が生まれた。

 

これにより日本語は更に自在な表現力を手にするのであった。

 

 

実はこれ、ずいぶん以前に見た「その時歴史が動いた」の受け売り。

 

番組の最後にナレーションの松平アナがこう語る。

 

 

『漢字の菅原道真、ひらがなの藤原時平。生前、袂を分かった二人のライバルは「日本語」という言葉の中で、永遠に手を携えることになったのである』

 

 

そのナレーションがめっちゃカッコ良かったのよー!!!

 

松平さんの声がサイコー。

 

 

いやー、日本語って素敵だね。

 



 

 

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