言葉が説得力を持つ時
昨日、またまた卒塾生が来塾。
保険の代理店で働くキョースケくん。
中1の終わりくらいから入塾して、結局高校卒業まで通ってくれたのかな。
その頃はねー、何を話しかけてもニコニコ照れ笑いするだけで全くしゃべれなかったんだけどね。
これ、よく似てるなー。(自画自賛)
ところが数年前、たまたま街でバッタリ再会した時にビックリするくらい立派な大人になってたのだ。
「立派な大人」ってのが抽象的だけど、とにかくハキハキよくしゃべる。
バリバリ仕事やってるーって感じでね。
昨日も仕事の電話なんかしてるとこ横で眺めてたけど、ホント「立派な大人」だったよ。
彼を見てると、今の小学生や中学生は(高校生も)、まだまだこれから光り輝く原石なんだって本気で信じられる。
もちろん、彼がこんなに変わるまでには色々なことがあったんだろう。
努力やそれに伴う苦労もしてるはず。
実際苦労してることも多少は知ってるつもり。
そうやってがんばってきた今、彼のハツラツとした姿を見た後で、昔のチラシを眺めてる。
高校に合格した日に書いてもらったチラシ用のコメント。
「この受験を通して、目標に向かって一生懸命やることの大切さが分かった。頑張れば目標は必ず達成できることも知った。塾で友だちと競い合い勉強しているときの楽しさも分かった。」
彼らしい素直な、ストレートな言葉だ。
志望校に合格した時に書いたこの言葉、その時も十分な説得力を持っていたに違いない。
でもね、色んな経験をして大人になって大変身した今の姿を見て振り返った時に、この言葉の説得力は何倍にもなってるような気がした。
言葉ってのは、今の自分を表現するのと同時に、未来の自分の理想や希望を示してるってとこもあるんじゃないだろうか。
だからこそ、その言葉がホントにホントに説得力を持つ時っていうのは、発言(もしくは文字に)して何年後か、何かをやってきた後だったりするのかもしれない。
そんなことも、卒塾生たちが教えてくれるんだな。