母親という存在
今日は、オフクロのことを書こう。
まあ、どこの母親も似たようなものだろうが、小さい頃はコワい存在だった。
こっちは、基本的には母親に甘える息子だったんじゃなかろうか。
しかし、好きとか嫌いとかいう言葉で表現できる関係ではないように思う。
母親は母親だ。
それ以外の何者でもないし、自分の母親はこの人しかいない。(当たり前の事を言ってるな)
子どもの頃にしかられて泣く程ほっぺをつねられた。
翌日ほっぺに残ったアザを見て「それ何したの?」と自分のしたことをすっかり忘れてても母親は母親だ。
昔から「うちは貧乏だ貧乏だ」と言い聞かされてきた。
祭りの夜店の綿菓子さえ滅多に買ってくれたことないのに、自分はわざわざ福岡の美容院へカットしに行ってても母親は母親だ。
小さい頃、酔っぱらった親父に出ていけと言われ家を飛び出して近所の公園のブランコで時間潰してた時も、捜しに来てくれたのはこの母親だ。(そりゃ普通捜すわな)
東京でグダグダやってて大学辞めそうになった時、親父には勘当と言われたが心配してちょこちょこ手紙を書いてきたのもこの母親だ。(返事は1度も書かなかったが)
自分の気に入らないことがあれば、いつまでもブチブチ文句言ってても母親は母親だ。
持ち上げてるのか落としてるのか、サッパリ分からなくなってきたが。
とにかく、この母親無くしては今の自分はあり得ないというのは間違いない。
回りくどい言い方してるけどね、「ありがとう」とか母親に対しては恥ずかしくて言えないわ。
ただし、母親の誕生日の朝だけは、こんな会話をしている。
「誕生日おめでとうございます」
「わー、あんただけよ、覚えててくれてるのは」
「はいはい、良かったねー」
これ、毎年お約束のやり取り。
しかし、この母親はオレの誕生日はいつもすっかり忘れているのだ。
それでも大切な存在であることに違いはない。